仕事というもの
うちでは、どんな気持ちで仕事をするかを非常に厳しく言います。
また、仕事の成果を見て、仕事をしたものの気持ちを言い当てます。
なぜかというと、仕事がその人を表すからです。
その人の仕事を見れば、その人が何を考えて仕事をしていたかわかるからです。
例えば、木に色を半分だけ塗ったとします。
ホントに眞半分なのか、どちらかが多いのか。
むらがあるのか、ないように重ね塗りをしているか。
ちょうど半分塗り分けられているところはきれいになっているか。凸凹でいい加減か。
半分のところを計っているか、いないか。
それらを見れば、考えて塗っているか、何も考えず塗っているか。
キレイに塗ろうとしたか、ただ、言われたことだからやったのか。
半分といわれたことを律儀に計測して、本当に眞半分にしたか。
つまり、慎重かいい加減か。
それによって、その仕事をしたものの性格が見えてくるのです。
つまり、心の中、脳の中が見えてくるのです。
だから、うちではどんな考えで仕事をやるかということを厳しく言います。
仕事をやるものが、オネストホームイズムを表現する。だから、君たちの考え方は自由ではない。オネストホームイズムで考え、その気持ちで仕事をしてもらうと言っています。
若い人は、何を考えようが自由だと思っている人も多いと思いますが、その考え方が仕事に出てしまうなら、仕事をするときは、その仕事にふさわしい思考でしなくてはならないのです。
考え方は、自由ではいけないのです。
もちろん、達人、名人といわれる人の考え方は、自由でよいと思います。
でも、仕事がわからない人の考え方は自由ではない。
おそらく、むしろ名人、達人といわれる人の方が考え方に自由が許されないことを知っています。
なぜなら、物事には、道理があり、生き方には、義理があるからです。それがわからなければ、達人、名人にはなれないからです。
考え方は、自由という風潮がありますが、ものの道理、人の義理、節度を持った人しか、自由は許されないと思うのです。
道理や義理というと昭和の時代ではないといわれそうですが、そういったことがわからないと真理はえられないと思います。
道理とは、科学やセオリーであり、義理とは、人としてきまり、約束事、人として正しいことであり、時代の違いも、国の違いでもないことです。
なんでも、自由にしてしまうことで、義理も道理もなくわからなくなり、真理から遠ざかってしまえば、迷う人、病む人が増えているのは当然ですし、それが現代の有様だと思うのです。
もし、あなたが迷い苦しんでいるなら、道理と義理を学ぶべきです。
仕事で、道理と義理を学び、そして、人格と腕を磨いていく。大事なことだと思います。
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